■エピソ−ドあれこれ
<皇后さまとカッパ>
昭和33年4月、天皇・皇后両陛下の九州ご旅行に、福岡市では博多人形の
制作実演がプログラムに組み込まれたが、このとき名人とうたわれた人形界の
重鎮・小島与一は、こっそり秘密のプランを立てた。
ふつう人形の御前製作は、たとえば原型づくりといっても、あらかじめ完成
させた粘土の人形を適当になでさするだけ。
それをご覧にいれるには与一の名人気質が承知しない。
そこで、両陛下が会場入り口にお姿を見せられてから自分の前にお立ちに
なるまでの2分間に、小さなカッパのひねり人形を作ってお目にかけることに
決めた。
「両陛下はカッパを知ってござるじゃろうか(ご存知だろうか)」
当日、2分間でパッとカッパ人形をひねってニュ−ッと差し出す与一に、
皇后さまはニコニコと何度もうなずかれた。
「カッパでしょう。ええ、ええ、知っていますよ」とでも言うように・・・・。
「博多人形は彫刻と日本画を一緒にしたもののようですね」
この日、もらされた皇后さまのご感想であったそうだ。
<黒田武士>
なにしろJR博多駅前には銅像まであり、毛利太兵衛(はじめは母里姓)は
黒田武士のシンボル。博多人形には欠かせないテ−マとなっている。
その故事は・・・太兵衛は黒田二十五騎の一騎に数えられた勇将、
後に講談でも有名な後藤又兵衛のあとを受け大隈城主を勤めた。
まだ、伏見城にいた頃、主君黒田長政の代理で福島正則邸に主君の
代理で年賀に行くことになる。かねて太兵衛の酒好きを知る長政は
「これ、きょうばかりは酒をつつしめ」と戒める。
かしこまって出かけた太兵衛だが、酒乱の正則から
「黒田の武士は酒も飲めぬ腰抜けか。みごとに杯を受ければ望みのものを
とらせる」
としつこくからまれ、主君にそむくのを覚悟で大杯をグ−ッと飲み干し、
なげしに飾ってあった名槍日本号を手にすると
「それではご免」とばかり席を立つ。日本号は正則が豊臣秀吉から
拝領した天下の名槍。酔いもさめ色を失ったが、あとの祭りだった。
君主に欺くを承知で立てた武士の意地は、人形になって今に名を残す。
<転勤節>
博多へ来るときゃ一人で来たが、
帰りゃ人形と二人ずれ
ご存知、正調博多節に出てくる博多人形はこう歌われている。
はじめ、明治のころお座敷で歌われた博多節は、歌詞に
「博多帯しめ筑前しぼり・・・」と博多の文字はあるものの、
歌詞とはうらはらに島根県浜田付近の俗謡で、旅芸人が全国に広めた。
博多の地元では門づけ芸として、むしろ軽んじられたらしい。
大正十一年「これではいけない」と博多の旦那衆が発奮し、名実ともに
博多にふさわしい歌を作ろうと新聞紙上で歌詞を募った。
たちどころに二万通以上も集まったと言うから、芸どころ博多の
名にそむかない。
節づけを工夫して正調と銘うち博多芸者のお秀がレコ−ドに吹き込み
全国に広まった。
人前で歌うまでには、かなりの練習がいる。勉強を積んでどうにか歌いこなす
ころには、博多勤務の任期が来るので人呼んで転勤節。
床柱を背に一曲披露し、記念に博多人形を贈られて、支店長さんの
博チョン暮らしはめでたくピリオドとなる。