『博多の筆師 錦山亭金太夫にインタビュー』

 錦山亭金太夫(きんざんていきんだゆう)という変わった名前は、
本名・金内勝と師と仰いでいる吉住古太夫(江戸文字の職人)とをミックス
させたものらしい。
自らを筆師というその作品は、書道と絵画をこれまたミックスさせたような
画風である。
以後は、普段から呼んでいる通りの愛称で“金ちゃん”と呼ぶ事にする。
金ちゃん自身は、大人と子どもをミックスさせたような人・・・とにかく
一言では言い表せない不思議な存在なのである。
ということで私が金ちゃんに話を聞きたいという気持ちはなんとなく分かって
いただけたと思うのであるが、どうしてこのHPなのかと思われる方もいるだろう。
そのバイタリティあふれる活動や作風からは想像もつかないだろうが、
金ちゃんはスーパー・バリアフリーニストなのである。
そんな金ちゃんではあるが、その沸き出でるエネルギーの根源を探ってみた。


          金ちゃん直筆の色紙



Q 作品を見ていると、なぜか金ちゃんの子どもの頃の話から聞きたく
  なったのですが・・・。

金太夫(以下金)
   
生まれは博多区の美野島。小さい頃は、ガキ大将タイプではなかったね。
   どちらかといえば祭り好きのひょうかんなタイプ。かあちゃんからは
   「お前はひょうかんじゃけん」ってよく言われよった。
   “ひょうかん”って“ひょうきん”の博多弁ね、いや美野島弁かもしれん。
   子供の頃といえば、最近オヤジの家を整理しようと思ってひっくりかえしていると、
   いろんな子供の頃に遊んでいたおもちゃが出てきてね。嬉しかったなあ。

Q オヤジさんってなにをされているんですか。

金)
 酒屋。だから、昔の看板とか、古い宣伝文句の書いたビールジョッキとかも
   いろいろ出てくる。
   面白いのよそれが、作品のヒントになったりしてね。
   なにか懐かしさを感じるようなノスタルジックなものって好きだなあ。
   僕はよく旅が好きであちこちに出かけるんだけど、そんなときも繁華街と
   いったところより、古い民家とかがある裏通りに入ってみたくなる。
   何年か前には旅先の杖立温泉で、もうやめるという古いパチンコ台や
   射的場の看板とかをもらってきた。
   こいつがいいのよ、もう宝物だね。

Q なるほどって感じがしました。金太夫さんの作品から出る独特の温かさの源が
  分かったような気がします。そんなビジュアルというか、絵に興味をもったのは
  いつ頃からなんですか。

金)
 初めてビジュアル、絵を見てビビっときたのは、小学校の図画工作の教科書で見た
   棟方志功の版画だった。すっごく感動してね、すぐに模写して版画を作ったんだけど、
   それを周りの人は盗作盗作ってバカにしたんだよなあ。
   それが悔しくって、もうその版画を人に見られるのがいやになって、教室の
   屋根裏の奥の方に放り投げて隠したのを覚えてるよ。
   それからオチがあるんだけど。何年か後に、もうそんなことなどすっかり忘れた
   小学生の高学年になって、女子更衣室をのぞきに行こうとしたの、屋根裏を
   つたってね(笑)。
   その時に発見されちゃった。ハハハハ。

Q ハハ・・・・・・、え~それから話しはズズーッと進むと思うのですが、現在の絵と詩の
  合体スタイルの作風になったのはいつからなんですか。

金)
 ハハハ(まだ前回の余韻が続いている)その後大人になってね、中川一政を
   知ってから。油絵で有名な人なんだけど、僕と同じような絵と言葉の作品もあって、
   その肉太な絵でどぼっと墨をたっぷり含んだような描き方がなんだか温かくて
   好きなんだ。

Q 1つの作品ってどうやって出来ていくの?例えば絵と言葉はどちらが先に浮かぶとか
  決まっているのですか。

金)
 うん、完全に言葉。それは、パッと一瞬で思い浮かぶときもあれば、何時間かけても
   ダメなときもある。大抵、締切りとかあって絞り出そうとするとダメだね。
   だから、いつ思い浮かんだ言葉も記録しておけるようにとメモ帳は手放せない。

Q 金太夫さんの言葉って、すごく“いい加減さがいい”と思んですよね。

金)
 そうそう。オヤジが、博多にわかに凝っていたこともあって、僕もだじゃれというか
   言葉遊びが好きなんだ。
   噺家になりたいって思っていた時期もあって、その時は三遊亭円生を
   尊敬していたなあ。
   東京のパルコが毎年作っている教訓カレンダーっていうのがあるんだけど、
   そこに僕は2回当選しているんだよ。
   ひとつは「総理またまた自慰を表命」、
   ふたつめは「ここ骨ワンワン ~警察犬」(笑)。
   よし今日は《シティ情報ふくおか》でひとつ考えよう、・・・「シティ情報不幸か?」(爆笑)

Q ・・・・・・


 というようにインタビューは進んでいったのであるが、もう金太夫さんは最初にも
 述べたように、大人なのか子どもなのか分からないところがあるので話もよく
 脱線する(笑)。
 えらく面白く、この日もなんと気がつけば2時間喋っていた。
 真面目な話しから馬鹿馬鹿しい話や感動の話しまで、とにかくもうごちゃ混ぜに展開し、
 記事としてまとめるのもひと苦労である。
 ここまでの前半は、いわば表現者としての金太夫さんに迫るインタビューであった。
 これからの後半はいよいよバリアフリーニストである金太夫さんに迫りたいと思う。


Q なぜ金太夫さんがこのHPに出てきたのか不思議に思っている人も多いと
  思うのですが、こう見えてもというのも変ですが、障害者手帳をお持ちなんですよね。

金)
 ネフローゼという病気で、子どもの心臓病のようなものかなあ。
   今は人工透析をしています。

Q 人工透析はいつからしてるんですか。

金)
 27歳の時にね、山が終わって(山笠に出場した後)から身体が動かんように
   なってね。
   そのまま病院に行ったら医者に「あんた、もう少しで死んでしまうとこやったぞ」って
   言われて、即入院。不規則な生活もたたっていたんだね。
   それから、人工透析を宣告されるんだけど、その瞬間は目の前が真っ暗になったね。
   昭和天皇の崩御で年号は変わるは、石原裕次郎は亡くなるはで世の中も
   暗い時やった。
   その時つきあっていた彼女とも結局別れることになったなあ。
   とにかく寂しいのなんのって・・・。
   でも、そん時、九大病院に入院していたんだけど、そこで出会う人たちが自分より
   もっとすごかった。
   自分より重い病気をかかえているのに強く生きている人も見たし、死んでベッドごと
   運ばれて行く人も見た。
   そしたらしだいに自分の病気も受け入れられるようになっていったしね。

Q 障害を持つ前と持ってからって作品は変わりましたか。

金)
 変わったね。それに、なにか溢れるように作品が次から次と生まれてきてさ、
   退院したらすぐに初めての個展を開くことになった。
   初個展なのに500~600くらい人が来てくれてね、嬉しかったなあ。
   その時の作品は未だにいくつか覚えてるよ。
   「あなたがこの世にずっといるなら、私もこの世にずっといたい」
   「君も一人で生きよ、我も一人で生きる」
   「自分よりも幸福な人がいる。しかしまた自分よりも悲しい人がいる。
   だからやっていこうと思った」

Q 金太夫さんにとって障害ってなんですか。

金)
 修行のようなものだね。
   今後、腎臓移植の技術が発達していけば人工透析もしなくていい時代が来るとも
   聞くしね。
   もし自分が生きてる間にそのような時代が来たらどうしようかと考えるんだ。
   なにも考えずに両手をあげて喜んで治してしまっていいのかってね。
   分からないな。




 障害があろうとなかろうと関係なく金太夫さんの作品は心に残るものである。
 これは障害者が作ったんだから・・・という目で、頭からそういう前提で、
 見たり見せたりすることがこの世界には多く見られる。それは間違いだと思う。
 誰が作ろうといいものはいいし、悪いものは悪いのである。
 障害を持ったアーティスト、スポーツマン、ミュージシャンいろいろいると思うが、
 みんな障害者という枠の中だけで終わってしまっていいと思っている人なんて
 いないはずだ。
 最終目標は健常者と同等、否それをも凌ぐレベルでの戦いなのだ。
 それを実践し、証明してみせてくれている金太夫さんだと思う。


      金ちゃんと愛犬プーちゃん。98年個展会場にて


■金太夫さんは毎年11月に個展を「ギャラリーおいし」で開いている。
  98年には記念すべき10回目を迎えた。
  今年も僕たちに、感動と元気を授けてくれた。
  心より “金ちゃん”ありがとう!

               「ギャラリーおいし」
                  福岡市中央区天神2-9-212新天町南通り
                  Tel. 092-721-6013