
三代正木宗七作(1822年)
延命地蔵尊像
祥勝院所蔵(人形供養)
白水六三郎作
芭蕉
(1867~1927年)

中ノ子市兵衛作
仙涯僧像
(1877~1946)
小島与一作
三人舞妓
1917年パリ万国博覧会銀賞入賞
<皇后さまとカッパ>
昭和33年4月、天皇・皇后両陛下の九州ご旅行に、福岡市では博多人形の
制作実演がプログラムに組み込まれたが、このとき名人とうたわれた人形界の
重鎮・小島与一は、こっそり秘密のプランを立てた。
ふつう人形の御前製作は、たとえば原型づくりといっても、あらかじめ完成させた粘土の人形を適当になでさするだけ。
それをご覧にいれるには与一の名人気質が承知しない。
そこで、両陛下が会場入り口にお姿を見せられてから自分の前にお立ちになるまでの2分間に、小さなカッパのひねり人形を作ってお目にかけることに決めた。
「両陛下はカッパを知ってござるじゃろうか(ご存知だろうか)」
当日、2分間でパッとカッパ人形をひねってニュ-ッと差し出す与一に、皇后さまはニコニコと何度もうなずかれた。
「カッパでしょう。ええ、ええ、知っていますよ」とでも言うように・・・・。
「博多人形は彫刻と日本画を一緒にしたもののようですね」
この日、もらされた皇后さまのご感想であったそうだ。
<黒田武士>
なにしろJR博多駅前には銅像まであり、毛利太兵衛(はじめは母里姓)は黒田武士のシンボル。博多人形には欠かせないテ-マとなっている。
その故事は・・・太兵衛は黒田二十五騎の一騎に数えられた勇将、後に講談でも有名な後藤又兵衛のあとを受け大隈城主を勤めた。
まだ、伏見城にいた頃、主君黒田長政の代理で福島正則邸に主君の代理で年賀に行くことになる。
かねて太兵衛の酒好きを知る長政は
「これ、きょうばかりは酒をつつしめ」と戒める。
かしこまって出かけた太兵衛だが、酒乱の正則から
「黒田の武士は酒も飲めぬ腰抜けか。みごとに杯を受ければ望みのものをとらせる」
としつこくからまれ、主君にそむくのを覚悟で大杯をグ-ッと飲み干し、なげしに飾ってあった名槍日本号を手にすると
「それではご免」とばかり席を立つ。日本号は正則が豊臣秀吉から
拝領した天下の名槍。酔いもさめ色を失ったが、あとの祭りだった。
君主に欺くを承知で立てた武士の意地は、人形になって今に名を残す。
<転勤節>
博多へ来るときゃ一人で来たが、帰りゃ人形と二人ずれ
ご存知、正調博多節に出てくる博多人形はこう歌われている。
はじめ、明治のころお座敷で歌われた博多節は、歌詞に
「博多帯しめ筑前しぼり・・・」と博多の文字はあるものの、
歌詞とはうらはらに島根県浜田付近の俗謡で、旅芸人が全国に広めた。
博多の地元では門づけ芸として、むしろ軽んじられたらしい。
大正十一年「これではいけない」と博多の旦那衆が発奮し、名実ともに
博多にふさわしい歌を作ろうと新聞紙上で歌詞を募った。
たちどころに二万通以上も集まったと言うから、芸どころ博多の名にそむかない。
節づけを工夫して正調と銘うち博多芸者のお秀がレコ-ドに吹き込み全国に広まった。
人前で歌うまでには、かなりの練習がいる。勉強を積んでどうにか歌いこなすころには、博多勤務の任期が来るので人呼んで転勤節。
床柱を背に一曲披露し、記念に博多人形を贈られて、支店長さんの博チョン暮らしはめでたくピリオドとなる。





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